かねまつのピンヒール

7.5センチヒールの黒エナメルのピンヒール。


私には合っていたようで、すこぶる歩きやすい。


どこにでもいけそう。背筋を伸ばして。


(ちなみに、そのはき心地に感動してすぐ仕事ように4センチヒールを買い足したが、そっちのほうこそやや痛い。)


いい靴は、新しい世界へ連れて行ってくれる、と言われる。


かねまつのピンヒールは、どこへ連れていってくれるのだろう。


いや、


自分で歩いていくのだ。


かねまつのピンヒールと、どこへ行こう


に、訂正。

挫折の味

渡辺和子さんの本を引き続き読んでいる。

ひとテーマひとテーマ、噛みしめるように読んでは戻りつしているので、それほど厚い本ではないのにまだ半分ほどだ。


今日心に残ったのは、彼女の挫折体験。


渡辺さんの温かで凛としたまなざしは、挫折を味わい、砂を噛みしめる思いをしたからこそのものなのだろう。

砂を噛み締めてもなお、立ち上がり、歩みを進めた経験は、いつしか誇りとなるだろう。

そして、今砂を噛む思いをしている者に、あるいはそう言う立場に立たされたときの自分に、あたたかさを持って接する事ができるだろう。


挫折をまさに味わっているときは辛いものだが、きっと立ち上がり、振り返れる日が来る(あの時のように)と思えることは素晴らしい財産だ。


ベートーヴェンの楽曲に、私はしばしば希望を見出す。


彼の人生の中で、その曲がどんな位置付けなのか詳しく知った上の解釈ではないのだが、


「地獄を見てきたけれど、それでも生きていて、温かな空気や豊かな色彩に囲まれている」


というイメージを何故だか想起させられるから。


地獄からも戻って来られるんだな。

という、安心感のようなものを、ベートーヴェンの楽曲からは感じる。


渡辺さんも、ベートーヴェンも、挫折から立ち上がり、歩んだのだと思うと、私も光のほうへ一歩を踏み出すのだ、と、心が勇気付けられる。

思いもしなかった困難に出くわした時に

乗り越えられそうか。

きっと、長い人生の中では、必ずあるはずなのだ。

その時に、ふたりで乗り越えるのか、
私が手を引いて乗り越えるのか、
相手に乗り越えさせてもらうのか、

 

その時そのときで、どうするべきか、あるいは結果的にどうなるのかは異なるのだろうけれど、
とにかくどうにかして、乗り越えなければならないのだ。
破綻とは、本質的に乗り越えられなかった時だ。

となると、人として必要になるのは

 

・精神的なタフさ
・かしこさ(ものごとを思い込みなく正しくとらえる)
・謙虚さと感謝
・愛情深さ

...自分でこれらを大切にしたいというのは当然だけれど、
相手にもそれを求めてしまいそうになる。まだまだだな。。。


本当は、相手の弱さをすべて受け入れる事こそが愛だ、ろうけど、、、


ひとつだけ言えるのは、別れた彼の弱さを受け入れて、
別れを受け入れたことは、
たしかに辛い経験だったけれど、
自分の人を愛する心に、少し誇りが持てたのも事実だ。

渡辺和子著『幸せはあなたの心が決める』

心が弱っている。

「休みも時間も合わないから、別れたい」

何を言われているのか、なかなか理解出来なかった。

自分の中には無い尺度だった。

 


確かに、休みは全く合わなかった。帰宅する時間は、私の方が約2時間遅かった。

 

休みが合わない。という彼。

プライベートの時間も必要になるんだし、3ヶ月に2回ぐらいは合わせられるじゃない、という私。


2時間もずれている。という彼。

2時間しかずれていない。という私。

 

でも本音は、

 

時間のずれより、

 

帰宅したときに部屋が暗くて、夕飯が出来ていない
という事に耐えられない

という事だったのだ。


ああ、それはもう私の手には負えないと
納得の上で別れを受け入れたが、

 

好きになった相手から、仕事を理由に別れを告げられてしまったものだから、
日々の仕事の中で、ふと空虚な思いにかられる事がしばしばだった。

 

しかし、いつまでもクヨクヨしてはいられない。
恋愛をして磨かれた表情も、暗い顔をしていると台無しだ。
そもそも、お互い対応不可能な理由で関係を続けられなくなったのだ。
私の本当の相手ではなかったのだ。

彼に感謝して、前を向きたい。
前を向く為に、本を読みたい。
むしょうに読みたかった。

以前から気になっていた

D.カーネギー著「道は開ける」は、私の心を駆り立ててくれるだろうか。
私は書店に向かった。

文庫化され、平積みになっていた
「道は開ける」をぱらぱらとめくってみたが、
彼の文章(正確には訳者の文章)は、今の私には力強すぎた。
駆り立ててほしい、と思って手に取った本だが、
人の心を駆り立てる力強さがかえって過剰に思えるほど、
自分の心は疲弊していたということに、初めて気づいた。


前置きが長くなったが、カーネギーを書架に戻し、
書店内を一回りしていた私の目に飛び込んで来たのが
渡辺和子著『幸せはあなたの心が決める』
だった。

そうか、私に必要なのは、他者からの肯定と慰めなのか。
いい大人なのに考えが甘いんじゃないか、情けない、とも思ったが、
仕方がない、考えが甘いし、情けない大人だ、私は。
キリスト者であり、ノートルダム清心学園理事長でもある渡辺和子さんの
ことばは、こわばった私の心をあたたかく溶かし、
ふたたび血を通わせてくれた。

「第一志望ばかりが

自分にとって

最良とは限らない。

 

挫折したからこそ出会えるものがある。
挫折は自分をきたえ、きっと成長させてくれる。」


「(愛する対象が)すばらしさを失った時にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。」

そうか、愛のありかは、本質的には自分の中にあるのだ。
自分が好きな仕事に誇りを持ちつつ、本質的に人を愛せるようになり、
本質的に自分を愛してくれる、またはそうしようと努力し合える人に出会う為の、今は準備期間としよう。


そして、もう少し心がしゃんとしたら、カーネギーを手に取ろう。
その日が遠からずやってくることを信じている。

 

はじめに

日々のことを書いてみようと思う。
東京で働く36歳の女の日々を。
考えをまとめるのには、私の場合、書くのがいい。
読んだ本のことを自分の中に落とし込むのにも、私の場合、書く方がいい。と思う。
他愛のないことを書いてもいい。かたよった事を書いてしまうかもしれないが、それが今の私の姿なら正直に書けばいいと思う。

思いのままに、たんたんと書いてみたい。